ある大きな患者団体の会長さんが、雑誌の対談で、代表の川竹にこんな質問をしました。
 「川竹さんは、再発した人が相談にきたら、何と言ってあげるの? 私は『再発しても、まだ人生は残っているのよ』って、一緒に泣いてあげることしかできないの」
 無理もありません。たいていの医者は口にこそ出さなくとも、再発した時点で、その患者が治ることは、ほぼ諦めています。だから、この会長さんも、そんな医者の悲観的な言動に感染し、その予想通りに、次々と亡くなっていく仲間を見て、すっかり絶望に囚われているのでしょう。
 川竹は、即座に、こう答えたそうです。
 「なぜ、何を、泣いたりする必要があるんですか? 何度目の再発だろうが、全身の転移だろうが、治せばいいだけのことでしょう!」
 この笑顔の仲間たちも、命がけの努力によって、医者が勝手に決めた限界など、やすやすと乗り越えて、自分で治したのです。そんな彼や彼女に、大きな誇りを感じます。

渡邉雅則さん
1949年生まれ
2009年下行結腸ガンⅣ期。手術と抗ガン剤を受けるも、2011年S状結腸ガンⅢ期となる。毎日ひたすら休まず心と体の毒だしに専念。4年後の検査で異常なし。

佐倉克彦さん 
1956年生まれ
1996年大腸ガン末期。半年後に肝臓に再発。2度の大手術で肝臓、胆嚢、胃、小腸、大腸のかなりの部分を失うが、自助療法で完全治癒。

春名伸司さん
1958年生まれ
2001年中咽頭ガンⅣ期。15時間の手術と術後1週間の植物状態から生還。ガンになって人生の意義を見つけ、非常に幸せ。

日髙麿悠子さん
1945年生まれ
2002年乳ガンⅡ期。リンパ節に4カ所転移。抗ガン剤を途中で断り、いい嫁いい妻をやめて毎日幸せ。

青井文江さん
1958年生まれ
2008年大腸ガンⅢ期b、2010年肝臓転移。再発を繰り返すが、徹底的に体を温めることなど、自分で決めたことを一生懸命やり続けて健康と新しい人生を手にする。

阿部重夫さん
1937年生まれ
2002年腎盂ガンⅢ期。、手術と抗ガン剤治療を受けるも、8カ月後膀胱へ再発転移、以後再発を繰り返す。その後自助療法を徹底しウェラー・ザン・ウェル。

吉野清美さん
1961年生まれ
2002年直腸ガンⅡ期。半年後に肝臓に転移。第1回千百人集会に参加。参加してなかったら、今は生きていなかったと思うとのこと。

 

 このグループは、初発の時点で入会。生活習慣を根本的に改め、生き方を変えて、再発や転移を防ぎ切った人たちです。病院での治療が終わっても決して油断せず、<ガンの原因と結果>をよく理解し、コツコツと実践を積んだ日々に、敬意を表したいと思います。

加藤美恵子さん
1947年生まれ
2007年右肺腺ガンⅠ期。手術の後遺症の肋間神経痛に苦しむが、生活習慣を180度転換し、持病まですべて改善。心の持ち方を徹底的に変え、「人生バラ色」。

井上敏夫さん
1954年生まれ
2008年胃ガンⅡ期。胃の3分の2と胆嚢を除去。退院時と1年半後の2回の抗ガン剤の勧めを断り、「ウェラー・ザン・ウェル患者学」実践で〈治ったさん〉に。

栗本眞紀子さん
1934年生まれ
2009年腹膜ガンⅢ期C。手術不能。ガン患研に出会い、その考えに衝撃を受け、自助療法を徹底。<治ったさん>になった後も、学びと実践を深め続ける。

竹内省伍さん
1942年生まれ
2008年前立腺ガンⅡ期。誰もが認める徹底した勉強と自助努力で〈治ったさん〉に。豊かな人生を目指し、今も学び続ける。

阿部カツ子さん
1938年生まれ
2003年甲状腺ガンⅢ期b。食事をはじめそれまでの生活習慣を改めるなどを即実行。ひたすら自助療法に取り組み続け、以前にまして健康で幸せ。

太田和江さん
1947年生まれ
2013年S状結腸ガンⅢ期B。知人の紹介で入会。とにかく体を温めることを意識し、自助療法に取り組む。

 

 この人たちは、手術・放射線・抗ガン剤などに頼らず、生活習慣改善などの自助努力によって、ガンを消失させました。医学界では<自然退縮>と呼ばれ、例外中の例外として、ほとんど無視されてきました。  しかし、ガン患研では、<自然退縮>にこそ、ガンという病気の本質、治す力の本質が潜んでいると考えて、研究を続けています。現在、ガン患研では、53人が<自然退縮>を実現。これは断然、世界一の実績です。  また、ガン患研では、<自然退縮>ではなく、世界に先駆けて、<自助退縮(英語では、constructive regression)>という名称を提案しています。詳しくは、<自助退縮とは?>のページをお読みください。

小林季代子さん
1967年生まれ
2012年卵巣ガンⅢ期。手術で取り残したガンを治すため入院中にテキストを読み漁り、自分で治す決意をする。ひたすら自助療法を実践し、見事自助退縮。

秋元宏子さん
1955年生まれ
2008年乳ガン。手術をしないで治すことを決意。玄米菜食をはじめ自助療法を徹底。仕事を辞め、生き方、考え方を変えて、7年後に見事自助退縮。

須永陽之助さん
1942年生まれ
2005年横紋筋肉腫Ⅲ期。奥さんの協力のもとひたすら食事療法に打ち込む。一緒に励まし合う仲間を得て、<治ったさん>に。肺に転移したガンを3カ月で自助退縮させる。

中島康夫さん 
1962年生まれ
2005年前立腺ガンⅣ期。延命治療しかないと告げられるが、玄米菜食、手当て、ウォーキング、イメージトレーニングなどを着実に実践し続け、自助退縮を果たす。

泉 建治さん
1952年生まれ
2002年膀胱ガンクラス5。大腸に転移し余命半年を宣告。10万人に一人でも治る人がいるなら、自分がその一人になると決心、1年後に自然治癒。

佐々木英雄さん 
1939年生まれ
2007年発病。前立腺ガン末期、恥骨転移。手術はできないという医師の言葉をはね返し、食事、生活習慣、心の持ち方を変え、1年後に自助退縮。

池田郁子さん
1954年生まれ
2005年発病。乳ガン。三代療法を受けるも、2年後に骨に再発転移。徹底した自助療法をやり続け、自助退縮を果たす。

山本八千代さん
1952年生まれ
1994年甲状腺ガンⅢ期。手術を断り、自助療法を徹底実践し、1カ月で自助退縮を果たす。

山田秀子さん
1944年生まれ
2004年右肺ガン。手術1年後に左肺に再発。徹底した自助努力により、5年生存率0%を9カ月で自助退縮。

佐藤之俊さん
1952年生まれ
2005年肺ガンⅡ期。三大療法を受けるが1年後に再発。生存率3%と言われ絶望のさなかにガン患研と出会い心機一転。自助療法を行い、ガンが消失。

佐藤賢太郎さん
1948年生まれ
2010年前立腺ガン。手術を勧められるが、自分で治す決意をし、生活習慣をすべて徹底的に変える。2012年に自助退縮を果たす。

村田悦代さん
1960年生まれ
2005年乳ガン。手術を断り、心の持ち方を変え、家族の協力のもと、食事と手当てに取り組む。1年後、見事に自助退縮が判明する。

児玉 清さん
1947年生まれ
2002年悪性リンパ腫。余命8カ月。三大療法でボロボロの状態で病院を抜け出し自助療法により自助退縮。

和田隆彦さん
1947年生まれ
2006年前立腺ガン。私が絶対死なせないという奥様のサポートと想念の力で1年で自助退縮。

豊岳道子さん
1958年生まれ
2003年乳ガン宣告。自分で作ったガンは自分で治すと三大療法を一切断り、自助退縮を達成してウェラー・ザン・ウェル。

 いかがだったでしょうか?
 ここに登場した仲間は、数から言えば、<治ったさん>のごく一部。物足りなく感じた方もいるかもしれませんね。しかし、どんな人が見るかもしれないインターネットに、フルネームとお顔、そしてプライバシーを進んで公開してくれた、その勇気と利他の心に、敬意と感謝をささげたいと思います。

※<治ったさん>のさらに詳しい体験は、『どんなガンでも、自分で治せる!』で、お読みください。

 

ガンを患ったことの意味は、二つあると、〈治ったさん〉たちは言います。
 一つは・・・これまでの生き方を改めなさい、というメッセージ。
 二つ目は・・・<治ったさん>になったときには、自分とよく似た悩める人に援助の手を差し伸べなさい、というもの。
 <治ったさん>は、生き方を根こそぎ改めることで、ガンを自分で治しました。
 だから今度は、かつての自分によく似た、不安や苦悩を抱えた人たち・・・あとに続く、たくさんのまだ見ぬ後輩たちに、自分の体験を提供し、その人たちが自分と同じように治るための手助けをしなさいと。

 リレー競争で、次々と新しい走者にバトンが渡されていくように、健康と幸せのバトンを、一人でも多くの人たちに手渡してゆきたいと言うのです。
 そうして・・・近い将来、私たちからバトンを受け取ったあなたが治り、さらにまた、あなたの手助けを必要としている多くの人たちに、あなたの手から、そのバトンが渡されていくことを願っています。

<治ったさん>の条件

 ガン患研本部が掲げる<治ったさん認定の基本原則>

  1. ガンがなくなっていること
  2. 生活習慣が根本的に改善されていること
  3. 自他ともに、ウェラー・ザン・ウェル実現が認められること

 スポーツ、芸能、実業・・・ジャンルを問わず、世に、復活の物語は、あふれています。でも、復活とは、いったんマイナスにまで大きく落ち込んだ人が、ゼロ、あるいは元の盛んだった状態に戻ることです。ガンになって休職していたけれど、ようやく職場復帰したなどというふうに・・・。
 しかし、<ウェラー・ザン・ウェル実現>は、復活どころか、それをはるかに超えて、<自分の人生のなかで、かつて味わったことのないほどの健康と幸せを実現>することなのです。

 

<治ったさんバッヂ>

<治ったさんバッヂ>のデザイン画
デザインは、ロコ・サトシさん。世界的に活躍中のデザイナーです。実物は七宝焼きのようにキラキラと美しく輝きます。おしゃれなアクセサリーとして、いつも胸につけられるようにとの川竹代表の願いが込められています。
なお、<治ったさん>認定には、登録料など費用は一切発生しません。もちろん、バッヂも無料で進呈です。

私は今、大いなる喜びをもって、あなたを〈治ったさん〉として認めます。そして、今後は一層、心からの同志として尊敬し誇りに思うでしょう。
今日までの、道のりの中、あなたが乗り越えてきた、絶望と悲しみの深さ大きさを、私は知らない。
けれど、あなたが古い自分を捨て、人を愛し自らを許すため、どれほどの勇気を奮ってきたか、私には、分かる。
人生最悪の出来事を人生最高の恵に変えることのできたあなたに、もう恐いものは、何もない。すなわち、無敵。
あなたのゆくところ、いつでも必ず、きっときっと、太陽と月とすべての星たちが燦然と輝き続けるでしょう。
『ウェラー・ザン・ウェル』。
この言葉があなたほど、ふさわしい人はいない。
願わくば、かつてのあなたに良く似た人たち、後に続く多くの人たちに、優しい手を差し伸べてあげてほしい。
そして、人生の美しさを、どこまでもあなたらしく完成させて下さい。
おめでとう !  ばんざい !
栄誉を讃え、ここに<治ったさんバッヂ>を贈ります。

NPO 法人 ガンの患者学研究所代表  川竹文夫

二つの名称

 ガンの患者学研究所本部と、『いのちの田圃(たんぼ)の会』の役割と関係について少し説明します。
 本部の役割は、テキスト制作、セミナーや講演会の開発と運営、電話相談、ホームページ上の治るサロンなどを通じて、治るための知識・情報・適切な教育を<提供>すること。対して『いのちの田圃(たんぼ)の会』は、本部の提供するサービスを受け、それを最大限に生かすことによって、<自らガンを治す場を提供すること>が役割です。
 従って、実際に入会していただく場合は、本部にではなく、『いのちの田圃(たんぼ)の会』への入会となります。
 ここまでの記事の中では、便宜上、ガン患研の会員、あるいは単に会員と表現してきましたが、すべて、『いのちの田圃(たんぼ)の会』の会員のことを指しています。(川竹)

★NPO法人ガンの患者学研究所は、神奈川県から認証された非営利の団体です。一切の宗教、政治、商業主義とは関係ありません。
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